すがりってこんな人(ざっくり詳しいVer)
はじめての記事投稿です。
まずはざっくり今までの人生の歩みを書きながら具合を確認していきたいと思う。
駄文恐縮ですがお付き合いください。
誕生から小学生
1986年宮城県仙台市ですがり誕生。幼稚園の時は粘土遊びやブロック遊びに明け暮れてあまり外で遊ぶ方ではなかった。
その結果割とぷくぷくまるまると越え「かっぷくが良いねぇ」なんて言われるほどぐんぐん身長が伸びた。
小学校の時から反対咬合?でいわゆるシャクレ(下顎が上顎より前に出ている状態)だったため、強制して直した。その直し方が嫌で嫌で毎晩ごねていたのを覚えている。
小学校から珠算を習い、小6までに2級まで取得してやめた。
珠算やめると同時に友達に誘われたミニバスをはじめた。
中学生
その友達に誘われるまま部活はバスケ部に入部。
運動量は半端なく、朝6~8時は外練→9~12時まで中練という過酷な日々を過ごした結果、ポニョだった体格はスマートに。
地区大会では優勝するくらいちょっと一目置かれたチームのベンチウォーマーとして活躍した。
何度も辞めようと思ったが、その時に諦めない強さや粘り強さを培った気がする。
高校生
推薦入試で割とするっと進学校へ入学。
中学英語がそこそこできたので国際コースへ行ったものの、英語の成績は中の中といったところ。おまけに入学1年目からいじめにあい、クラスの男子全員からシカトされるなど、割と辛辣な1年を過ごす。
進級して2年生になる頃にはいじめの中心人物が転校し、自然といじめはなくなり、普通の学生生活を送る。
便所で弁当食ったり、図書室で一人で過ごしたり、割と惨めな思いを味わったけど、登校拒否はせず、培ったハングリー精神で通い続けたった。(その時の自分をほめたい。頑張った!)
部活はそのまま続けてバスケ部へ入部。なんと3年間ずっと公式戦1勝もできない弱小チームでした。部長がだらしなくて、まぁそれなりに楽しく過ごしたかな。
大学生
高校3年生の夏、進路もまだ定まっていない頃に告白してくれた彼女に1週間で振られたトラウマがある。彼女曰く「死んだ元カレに似ていたので辛くて」と。
そんな彼女のメンタル的な役に立つべくカウンセラーを志し、心理学科に進学。
勉強を進めるうちにカウンセラーは自分には向かないなーと悟りつつ、心理学は興味分野で割と熱心に学べた。
この頃が人生のいわゆるモテ期だった。ここだけの話卒業までに両手じゃ数えられないくらい告白していただいた経験がある(小声)。
短大が併設されており、なかなか濃ゆい大学生活を送ったなぁ。。
社会人
入社2年目の頃、新人として入社してきた後輩の影響でデジタル一眼レフを購入。そこからフォトライフが始まる。そんな彼とは北は北海道、南は沖縄まで撮影旅行に行き、今でもツルンデいる親友ともいうべき存在である。
デジタル一眼レフはご存知の通り、撮影した写真はデジタルなのでハードの肥やしにしかならず、もったいないなぁと考えていたやさき、地域おこし協力隊で東京からやってきた方がHPをつくったり、IT系の取り組みをされていたことに興味を持ち、差し出がましくも撮った写真を無償で提供するので使ってほしいと撮りためた写真を送った。
代が変わった今もその時の写真がFacebookのTOPに使われているのは光栄なことだ。
その時の縁をきっかけに少しずつ地域おこし、地域貢献に興味を持ち、できる範囲で首を突っ込んでいくことが増えた。
一番思い出深いのは2018年に行われた南陽市若者コンペで優勝したことかな。
社会人になって参加したボランティア活動は割と多い
- 24時間テレビの街頭募金ボランティア
- 仙台ジャズフェスティバルのビラ配りボランティア
- 自社の森林整備ボランティア
- 震災後、復興活動のため宮城県の歌津町(RQ)、山元(スコップ団)、閖上(STEP)や福島の南相馬(福興浜団)にて活動
- 台風などの自然災害では南陽市、鴬沢、戸沢、富谷などいろいろ
- カメラマンとして熊野大社で開催されるCoffee Day Outや各種イベント
などなど割といろいろやらせてもらっている。
今はサラリーマンの傍ら、依頼があればプロフィール撮影や、動画の作成をちょいちょいしているが、ド素人&機材も安い物なのでクオリティはそれなりですが、もし何かお役に立てることもあるかもしれないのでお気軽にご連絡ください。
とりあえず今はこんな所かな。